天神真楊流とは

流祖は磯又右衛門源正足(文久三年・一八六三・七十六歳没)。伊勢松坂の産、紀州藩士。楊心流・真之神道流を修行し、奥義を極め諸藩の師家と試合を行うも不敗であった。特に実戦における(複数の相手)当身技の有効なるを体験し、「真の当」(生理的弱点を突く・蹴る)を投技・関節技・絞技の中に活用し、技の威力を大にした。
 京都北野天満宮に参籠し、楊柳の風になびくさま(柔軟性)を観て大悟し、「天神」と、以前に修行した二流より「真」と「楊」の二字を合わせ、天神真楊流と名づけた。江戸神田お玉ヶ池に道場を開き、百二十四本の変化の手数及び活殺の秘術を伝授した。幕末の頃には諸藩に普及し、門人五千余を数えた。

Judo

嘉納治五郎が学んだ武道

 講道館柔道の創始者嘉納治五郎師範は明治十年、師範家福田八之助の門に入り修行し、明治十二年、師の死去にあい、三世磯正智について修行をつづけ、その奥義を応用し、明治十五年、講道館柔道を創始した。

Dojo

当流では「日本古武道協会」及び「日本古武道振興会」に正式加盟している団体です。各地の師範より最寄りの道場で稽古を行う事が出来ます。
東京都文京区
東京都新宿区
東京都千代田区
埼玉県東松山市
愛媛県四国中央市
客船 飛鳥Ⅱ船内

力ではなく理合いを学ぶ。

Waza

手解きから極意

基本技法から活殺自在の極意に至るまで、段階を経ながら技を教授出来る方法が考えられました。
江戸時代には既にこのカリキュラムが体系立てられており、幕府講武所をはじめ、諸般の武士達がこぞって学び5千人の門人を抱える事になります。
明治時代後期になると講道館の普及により多くの門人は柔道家として活躍する用になりましたが、残った師範家により124本の形は現代に継承されております。